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(市長の挨拶集) 平成24年 新年のあいさつ
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新年明けましておめでとうございます。
対馬市民の皆様におかれましては、ご健勝にて穏やかな新春をお迎えのこととお喜び申し上げます。また、皆様には日ごろから市政に対し深いご理解とご支援、ご協力を賜り心から厚く御礼申し上げます。
さて昨年は、私達日本人にとって、また人類にとって、千年に一度の出来事とも言われた「東日本大震災」と、それに附随して発生した「原発事故」という悲劇的な事柄が重なり合う、歴史的にも忘れる事の出来ない年でございました。
被災地から遠く離れた場所であるこの対馬において、『人間はこの逆境で立ち直ることができるのか?ただ茫然自失の感に追い込まれるだけの人類なのか?日本人なのか?』と私自身、思いをめぐらせておりました。
しかし豈図らんや、極限状態に追い込まれているはずの被災地の人々が、寡黙ななかにも明日への希望を抱いて瓦礫を処理するあの姿は、不景気の嵐が吹きすさぶ地方に住む私たちだけではなく日本中に感動を与え、また深奥にある何かを覚醒させました。
そして、その報道に接した国民は、自分の事よりもあの地方の困っている方々に手を差し伸べなくてはとの思いで行動を起こしました。「人の道」とも言うべき崇高なボランタリーな一面と、日本人が最も日本人らしく振る舞っている被災者の姿は、私達のような凡庸な生活に浸っている人間さえも目覚めさせたような気がします。
その様な中、11月にブータン国王夫妻が来日されました。日本中に爽やかな風を残していかれましたが、なにゆえこのように爽やかだったのだろうかと改めて考えると、国王夫妻の人柄のみならず、父君である前国王が提唱された『国民総幸福量(GNH)』という考えに基づき政治を執り行っていらっしゃる事が要因かなと感じざるを得なかったところです。
『国民総幸福量』とは、国民の幸福を政治の目的とし、政策判断に現実に活かすべく、幸福の量を具体的な数値・指標として定めたものだそうです。
「幸福とは何なのか?」
このことは人類が求める究極の命題なのかもしれません。実践的な幸福論を展開したフランス人哲学者:アランは、著書『幸福論』の中で「幸福とは、報酬を求めなかった人々のところへくる報酬なのだ」と説いています。「求めない崇高な生き方に後付けで、無意識の内に褒美のように寄り添ってくるもの、それが幸福である」と評しているのだと考えます。また、喜びと満足について次のようにも記しています。
「もし喜びを探しにいくなら、まず、なによりも喜びを蓄えることだ。成功したから満足しているのではない。満足していたからこそ成功したのだ」と。そして、「人間は、意欲し創造することによってのみ幸福である」とも記されています。私はこれを、「精神的なものが相対的なものではなく自分自身の心の持ちようでいかようにも捉えられる」と意味しているのかなと解釈しました。
混沌とした昨今の世界情勢を考える時、価値観の多様化が著しい現代社会においては一つの「解」に収れんしていく事はありえなくなったのではと考えます。しかし、普遍的な部分で「幸福」については、無意識のうちにおける能動がもたらすものであるのだと語っているのでしょう。
無欲かつ無意識な行動を起こす時が今、到来していると考えます。
動き出そうではありませんか!
何も見えないが素晴らしい未来に向かって!
本年が皆様にとりまして素晴らしい一年となりますようご祈念申し上げます。
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