Vol.2 齊藤 加代子さん(1/2)

更新日:2021年04月01日

“島ぐらしだからこそ、プライベートな時間を大事にしてあげたい”

 

齊藤 加代子さん

対馬市出身 / 美津島町在住

プロフィール

対馬生まれ。高校卒業後に東京の美容専門学校に進学し、都内で美容師として勤務。12年ほどの東京生活を経て、子育てを機に対馬へ。現在は二人の息子とご主人の4人暮らし。ご主人は神奈川県出身のIターン。帰郷後は、もともとお母さんが理容室をしていた今の場所を改装して、完全予約制のプライベートサロンを開業。

自然と選んだ美容師への道。「お客さんが来てくれる」のは、小さい頃から特別なことだった。

ーー対馬のご出身と伺いましたが、簡単な自己紹介をお願いします。

18歳までは対馬。豊玉高校を卒業して、東京の美容専門学校にいくために上京しました。卒業後は、そのまま東京の美容室に就職して銀座、渋谷、恵比寿のお店で働いて、29歳のときに戻ってくるまで、ずっと東京で暮らしてました。今年で戻って来て5年目です。

いまは男の子二人と主人との4人家族で、ちなみに主人は神奈川県の出身で、いまは対馬の消防署で働いてます。

私は、「8(HACHI)」という美容室をこの場所で開業していて、お店は今度の6月で3周年になります。一人ずつしか予約を取らないプライベートなサロンとしてやってます。お店の名前は、私が8月生まれなのと、数字の形が対馬の形にちょっと似てることや、漢字にすると末広がり。みたいなことを考えて母と相談してつけました。

ーー対馬を出ようと思ったのは、きっかけなどありますか?

小学生ぐらいの頃から、美容師になりたい。と思ってたので、対馬に美容学校がなかったのは大きいですね。

ーーなるほど。高校までは豊玉、その中で美容に関心があると自覚したきっかけはありますか?

母がこの場所で理容室をやっていたんです。子供の頃は、よく母について仕事場で遊んだりしてたんですけど、「お客さんが来てくれる。」っていうのが、小さい頃から特別なことのように感じていて。

それに、お客さんが髪を切ってマッサージしてもらってる時の表情とか、リフレッシュした感じで帰って行く時の雰囲気が憧れだったんですよね。

そんな環境だったので、自然と自分も美容師になろうかな。って早い頃から思ってました。

ーーその後、東京で生活。対馬に戻るのを決めたのは、どんなきっかけだったんでしょう?

結婚や出産のタイミングもあるんですが、先輩Uターンの人(Fさん)と主人が出会ったのも大きかったですね。私が長男を産んで産休育休で里帰りしてたときに、主人も休みをとって対馬に来てくれて。何日か滞在している間に、ちょっと身体を動かしたいということで近くのバスケに参加したんですが、そこでFさんと友達になって帰って来たんです。

それで、Fさんから消防の採用があることを教えてもらったあたりから、対馬での生活っていうのが具体的になってきた感じもあって。彼と主人が出会ってなかったら、こんなに早く対馬に戻ることはなくて、普通に東京に戻ってそのまま暮らしてたと思います。

ーー「こんなに早く」ということは、将来的に対馬に戻るつもりはあった?

そうですね、昔から最終的には対馬に戻るつもりではあったんですけども、いつのタイミングにするかは決めてなくて。産休育休の時も、育休を全部を対馬で過ごすつもりはなくて、産後少し落ち着いたら東京に戻ろうと思ってました。

とはいえ、私の中で「将来、いつかは対馬に戻ってきて住む」っていうのは子供の頃から決まってた部分がありましたね。というのは、私が3姉妹の長女なので、いつか戻ってくるのは私かな。と。

小さいときなんかは周囲の人から「長男とは結婚できないぞ」なんて言われたこともありましたよ。結果的には、主人は長男でしたけどね。笑。向こうの家族も理解があるので、対馬でいいよー。といってくれたこともあって、スムーズにこっちに戻ってくることができました。

(つづく)

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