Vol.4 藤原 圭一さん(1/2)

更新日:2021年04月01日

藤原恵一  1

“まずは独立。早く自分の船で漁に出たいですね。”

  藤原 圭一さん

熊本県出身 / 上対馬町在住

プロフィール

熊本県生まれ。大学卒業後は大手水産会社へ入社。対馬には10年ぐらい前から、年に2、3回ぐらいのペースで友人と釣りに訪れるようになる。ある時、漁師の研修制度があることを知り、漁師を目指して対馬へ移住。二児の父。単身赴任中。

漁師は子供の頃の夢だった。でも世襲だと思い込んで諦めていたんです。

ーー簡単な自己紹介と、対馬にいらした経緯などを教えてください

出身は熊本で、大学は鹿児島に進学。卒業後は水産会社に入社しました。最初の勤務地は大阪でしたが、その後は、広島、大阪と転勤して、それで最後に九州に赴任、という感じで転勤があり、4、5年ペースで動く転勤族でした。

魚も釣りも好きだったので、10年ぐらい前から、東京にいる友人と一緒に年に2、3回ぐらいのペースで友人と一緒に、対馬へ釣りには来てましたね。その頃、釣り友達が、いま僕の研修を受け入れてくれいる細井さんと先に知り合いになって。

あるとき、一緒に釣りに来たときに、ここで細井さんに会って、その時に、対馬にも研修制度があって漁師になれる。っていう話を聞いたんです。それをきっかけに、準備期間を経て去年の8月から対馬に来ました。今は家族を福岡に残して私だけ単身赴任ですが、独立に向けて準備をしているところです。

藤原圭一 2

ーー会社員から一転、「漁師」という仕事を具体的にイメージしたのはいつ頃からですか?

じつは、もともと漁師になりたいなって子どもの頃に思ってた部分があって。小学校の頃は、将来は釣り名人か漁師になりたい。って思ってました。でも、当時からずっと、漁師って代々家柄で継いでいくものだと思ってたんです。なので、うちは漁師の家じゃないからなれないな、って。諦めてました。

その後、就職活動の頃や会社員時代は、そもそも「漁師になれる」と思ってなかったので、仕事として漁師を意識はしてなかったんですが、ところが、九州に転勤になってしばらくした頃、通勤途中の吊革広告に、漁業就業フェアっていうのがあるのを見つけてしまって。

気になったので、東京の釣り友達にも連絡したら「東京にも同じようなフェアがあるから、俺はそっちに行く」ということになり、私は天神のフェアへ。そこではじめて漁師の家の出身じゃなくても漁師になれる可能性があることを知りました。その後、2年ぐらいはフェアにも通ってみて、出展してた方のところに体験漁業に行かせてもらったこともあります。

ーー「漁師になれる」とわかって気持ちの変化はありました?

「漁師、なれるんだ」っていうのがわかって・・・それで、僕モヤモヤし始めて。笑。嫁は学校の先生だったんですけども、当時は結婚を機に仕事を辞めていた時期だったこともあって「自分が仕事辞めてまで漁師になるのは・・・家族もいるし・・・無理だよな」という感じでした。

ーーそしてその頃、奥様が福岡で教員として仕事に復帰された。ということですね

はい。3年目ぐらいかな。採用になったので「じゃ俺、辞めていいか?漁師になりたいんだけど・・・。」っていいました。(笑)

ーー笑。最初の反応や、そのあと対馬に単身赴任されるまでの経緯はどんな感じでしたか?

藤原圭一 3

最初は、「え、でも漁師にはなれんやろ?」って。そこからフェアのことや、漁業者になる道が開かれてることを話していくうちに理解はしてくれて。嫁は中高時代の同級生で、二人とも出身は九州だし、将来的には九州か福岡に生活拠点はおきたいと思っていたんですが、ちょうどその頃に、私の方が次の転勤で九州を離れそうという話もあったので、このタイミングで水産会社を退職しました。

ただ退職した当時は、まだ子供も低学年だったので、すぐに漁師をを目指すのではなく、

外で働くのは嫁に任せつつ2年間は僕が主夫をしてました。その後、「だいぶ親から離れて遊ぶようになって来たし、そろそろいいやろ?」って話したところ、家族からもOKがもらえたので、去年の8月から対馬に単身赴任です。

ーーお子さんにはなんて?

「父さんは漁師になる!」って言いました。最初は、えぇ!って言ってましたが、「んー、でも、なんとかなるんじゃない?」っていう感じで送り出してくれてます。笑

(つづく)

この記事に関するお問い合わせ先

地域づくり課

〒817-8510
対馬市厳原町国分1441番地
電話番号:0920-53-6111
ファックス番号:0920-53-6112


メールフォームからお問い合わせをする