歴史

更新日:2021年04月01日

対馬は、日本の中で朝鮮半島に最も近いという地理的条件から、大陸からの石器文化、青銅器文化、稲作、仏教、漢字など日本の窓口であり、朝鮮半島との間では古くから貿易などの交流が盛んに行われていました。その名残として、対馬には大陸渡来の書物、仏像、建造物、朝鮮式山城の金田城跡や古墳などの文化財が残っています。

朝鮮半島との友好交流の歴史の中、1592年~97年の文禄・慶長の役で交流が中断してしまいましたが、対馬藩十万石の藩主・宗家は、朝鮮との関係を回復するため、朝鮮通信使を江戸まで案内するなど、日本と朝鮮の交流再開に努力しました。

20世紀に入り、一時期、対馬と朝鮮半島との交流が途切れた時代もありましたが、対馬にとって朝鮮半島は身近な存在であることは変わりありません。それに過去の長い友好の歴史がありました。一時期停滞していた交流も、今では対馬と韓国の釜山との間が定期航路で結ばれるなど、文化、経済、教育の活発な交流が再開されています。