Vol.1 内山 琢巳さん(1/2)
”対馬は仲良し。って言われることあるけど、やっぱり繋がりは大事っすね”
内山 琢巳さん
対馬市出身 / 上県町在住
プロフィール
対馬市の上県町佐護の出身。高校を卒業後、5年ほど自衛官として勤務したのちに帰郷。叔父が畜産農家ということもあり、小中学生の頃に手伝いをした経験も活かせる牛飼いの道へ。研修期間を経て独立する。
自衛官から転身、畜産農家の道へ
ーー対馬で畜産農家やろうかな。と思ったきっかけを教えてください
高校出て、自衛隊に入隊して、自衛隊には5年ほどいて戻って来ました。
牛飼いにしたのは、おじさんが峰町の吉田ってところで牛を飼ってるんです。僕が小学生ぐらいのときに始めたので、中学生の頃は手伝いにも行ってたし、少しは仕事の様子もわかることもあって。きっかけはそんな感じだったんですけど、むしろ、「いつかは対馬で働きたいな。」っていうのが強かったですね。
親父がもともと大工してたんで、大工という選択肢もあったんですけど、修行を今から始めても独り立ちまでには結構かかるというのもあったし、それだったら、子供の頃に手伝って勘所が少しはわかる畜産をもう一度修行して始めるのがいいかな。と思って畜産することにしました。
ーー 牛の繁殖農家というのは、どういうお仕事になるんですか?
繁殖といって、ここでは母牛に種付けをして子牛を産ませて、生まれた子牛を10ヶ月育てて、市場に出荷する感じです。
二月に、一産目の子牛を全部だしてしまったので、今ここにいるのは母牛だけですけど、全部お腹に子供がいるので今度は4頭生まれて来ます。生まれたら少しの間はお母さんと一緒に過ごして、そのあとは別々に育てる感じですね。
対馬は赤牛(和牛のうち褐毛和種のこと)やってる人がいっぱいいて、黒(同じく黒毛和種。黒毛和牛のこと)の方が少ないですね。黒の方が血統の順番を守らないといけないとかあって難しいとも言われるんですけど、それがまた面白いな。と思ってます。
僕は壱岐の市場とかに出してて、そこから全国に買われてくんですけど、最初の3頭は、鹿児島に一頭、新潟に一頭、山口に一頭。みんな覚えてますよ。
生活ペースは、朝8時ぐらいにきて夜も20時には家に帰り着いてる感じ。普段は、実家のある佐護から通ってますけど、お産が近い時だけは泊まり込んでます。
ーー 広々してて明るい感じの牛舎ですね。
まだ出来て半年ぐらいです。真ん中の通路がでかい。っていうのは、よく言われますね。ここは結構こだわってて、車のまま入れるっていうのがポイントです。というのは、牧草って収穫した後に外で乾燥させて仕上げても、うっかり雨に濡れちゃうと台無しになっちゃうので、その時期は雨が降ってきたら牧草を濡らさないうちにバババっと回収しないといけないんですよ。で、ここは、トラックのまま屋根の下に運んで来れる造りにしてます。笑
ーー牛はいくつかの部屋に分かれてるんですね。いまは何頭の母牛がいるんですか?
いまは最初にいれた3頭に、1頭増えたので4頭います。5年で15頭ぐらいはいきたいなと思ってるとこです。
部屋を分けてるのは、牛って縄張り意識が結構あって、早く来てる牛の方が確実に強いんで、こうやって新しくきた方を別の部屋にいれてます。新しい方の1頭もお腹に子供いるんで、いま喧嘩して、やられて流産するとかはイヤなんで。子供と離れるようになった時には同じ部屋に入れます。そうすると、徐々に慣れてはいきますね。それと、この牛舎のとなりは運動場をつくってるので、そっちにも出れるような感じになれば逃げ場も作れるしですね。なのでここはまだまだ頭数は増やせるんですよ。
ーー 運動場の整備…もしかして、あの重機でご自分でやってるんですか?
あー。大体、全部自分でやってますね。自衛隊の時に一通り重機類の免許もとりましたし、趣味でバイクが好きで、機械のメンテナンスとかするので重機も自分で直したりしてます。
ちなみに、この重機は重機屋さんが廃棄する直前のを引き受けて、部品だけ自分で取り寄せたりしながらオーバーホールして使ってますね。こうやって運動場を整備したいと思ってたんで。
ーー 牛舎と放牧できる運動場が併設なのも面白いですね。
お腹に子供がいない時期は運動できるようにっていうのと、牛舎の中で新入りがやられるときはだいたい端に追い込まれてやられるんで、どんなに弱い牛が入っても逃げ場が広ければやられづらくなるっていうのもあるので、こうしました。
ここでは、タネついたらこっちの部屋に入れるけど、それまでは運動場で過ごせるようにしようと思ってて。管理しやすいんですよね、その方が。牛にもストレスもかからないしですね。
(つづく)
更新日:2021年04月01日